障害者にとっての天皇制…天野誠一郎さん
◆6.3天皇制いらない集会発言 その1
障害者にとっての天皇制 天野誠一郎さん
天皇制は日本人が一番優れているとし、その考えが強まれば、純血主義へと発展して行く。
そして、優生思想へと開花する。
その思想の下、不良の血の障害者は抹殺されて行く。
従って、僕は天皇制には反対です。
そして、障害者差別は根が深い問題です。
その差別の根からは、
<優生思想>→<日本人の純血主義>→<優秀な子孫だけを残す>→<排外主義>→<民族差別>へと連鎖する、
差別の壮大な構築されたものとして現出されます。
日本の政治の傾向は、この天皇制について、アメリカへの追従が強まれば強まるほど、声高に叫ぶ傾向がある。
アメリカに依存し追従はする反面、日本としての主体性をなんとか守るため、相矛盾する形で天皇制を声高に訴えるものだ。
もともとこの国は、個人の存在や人権を認めない国である。
ではそれらをどこで認めるかというと、家族という単位で認めている。
そして、その家族は、優生思想の枠の中で認められている。
しかしそういった家族の中でも障害者は生まれてしまう。
障害者は、その家族の中で抱え込み、やっと生きていける。
つまり、障害者だけの問題ではなく、その家族の問題と位置づけられる。
日本においては、社会保障制度は家族単位で適応運営される。
そして、社会的弱者が生まれた場合は家族が抱え込み、本質的には閉鎖的な家族の中に隔離される。
個人個人を認めない日本社会なので、その被害は、障害者の場合、強く現れてしまう。
いま現在、安倍政権は家族主義の復活をめざしており、その方向はめぐりめぐり天皇制の復活へとつながる。
その方向は、同時に、障害者の存在を家族の中へと埋没させ、より障害者差別を強めていくだろう。
障害者運動はもともと、家族からの依存からの脱出からはじまった。
国家権力は気付いていないかもしれないが、障害者運動は、家族からの解放を目指していた。
そして勝ち取ったものが多かった。
一定程度、以前よりは障害者の地域生活は安定している。
しかしその分だけ、露骨な差别が隠され、差别が見えにくくなった。
再度、障害者運動は、いったい何から解放されたかったのか?、何を目指すのか?、それが問われている。
象徴天皇制は間違いなく差别の根本原因である。
個人が確立されていない、なおかつ、家族に依存する体質を乗り越えないかぎり、限りなく日本人は天皇制に加担してしまう。
いま一度、一人ひとりが自己を確立し、身近な関係から変えて行く努力をしていきたい。
現状は若い障害者の運動離れが起きている。
若い障害者の求めているものは、将来の事は考えずに現状の体制に合わせて家族と一緒に居たいし、それを行政は支えてほしい、となってしまっている。
まず、ここから横の関係を作り直し、本質を問う運動を作って行きたい。